松本蟻ケ崎教会の信仰告白、最後の項目「終末」をご紹介します。
10. 終末
私たちはキリストの再臨によって、この世に終末の来ることを信じます。この時全ては神の前に明らかにされ、人はキリストの義による裁きの前に立たされ、信仰による義人は永遠の命に、そうでない者は永遠の滅びに至ることを信じます。
それ故に、主イエス・キリストは私たちの希望であり、日々の信仰生活を失望に終わらせることは決してありません。
参照聖句:
マタイ 25:31 - 46
(22:31) 死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。
(22:32) 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
(22:33) 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
(22:34) ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
(22:35) そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
(22:36) 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
(22:37) イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
(22:38) これが最も重要な第一の掟である。
(22:39) 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
(22:40) 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
(22:41) ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
(22:42) 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、 (22:43) イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。
(22:44) 『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
(22:45) このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
(22:46) これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。
第二ペテロ 3:8 - 13
(3:8) 終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。
(3:9) 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
(3:10) 「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、
(3:11) 11悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。
(3:12) 主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
(3:13) もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。